「世界の目標ネイチャーポジティブとは?」 一般社団法人コモンフォレストジャパン理事 坂田昌子さん
最近、あちこちでネイチャーポジティブという言葉を聞くようになりました。どこそこの企業や自治体がネイチャーポジティブ宣言を行ったというニュースを耳にした人もいるかもしれません。
ネイチャーポジティブとは、「2050年までに自然の完全な回復を達成する」という長期目標実現のために「2020年を基準として2030年までに生物多様性の損失を食い止め、反転させる」という世界で合意した短期目標のことです。この目標は、2021年G7 2030年自然協約や2022年生物多様性条約第15回締約国会議(CBD COP15)で決議された「昆明・モントリオール生物多様性枠組み」にも重要な取り組みとして組み込まれています。
では、ネイチャーポジティブとは、どういう意味なのでしょうか?
簡単に言ってしまえば自然をポジティブな状態に変えていこうということです。ということは、今はネガティブな状況にあるということになります。まず、世界中で話し合ってこのような目標を設定しなくてはならなくなったネガティブな現状をおさえていきましょう。
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- 自然のネガティブな状況
すでに地球は、陸域の75%が人間によって土地改変され、海洋環境の66%が改変されてしまいました。湿地面積にいたっては、少なく見積もっても80%が消失してしまっています。このような自然環境の激変の最も大きな要因は、土地改変、汚染、乱獲、外来種の移動、気候変動など人間の活動によるものです。いまや人間の活動は、動植物の25%を絶滅の危機に追い込んでしまいました。わたしたち人間が確認できるものだけでこの数値ですから、まだ発見されていない生き物が人知れずこの地球から姿を消してしまっている可能性も非常に高いかもしれません。
2024年コロンビアで開催されたCBD COP16で、IUCN(世界国際連合)は、絶滅の危機にある野生生物の「レッドリスト」を更新しました。前回の更新より、絶滅危惧種は1,300種も増加し、4万6,337種もの生物が絶滅の恐れがあると報告されました。さらに問題なのは、今回初めてIUCNが調査した世界のすべての樹種評価です。世界の4万7,000種の樹木のうち、なんと3分の1にあたる1万6,000種が絶滅の危機にあると評価されました。人間も含めた多くの生き物の食糧、棲み処となり、二酸化炭素の吸収や固定、水源涵養(かんよう)、土壌の形成・保護など、樹木はあらゆる生き物が生息するための基盤となっています。したがって樹木の絶滅は、他の生き物の絶滅へと連鎖してしまいます。
では、わたしたちが暮らす日本列島は、どうでしょうか?
2014年にはニホンウナギ、2020年にはマツタケ、2022年にはアワビと次々と絶滅危惧種は増加し続けています。身近な存在であったメダカも絶滅危惧種です。さらに驚くべきことに、2024年度の鳥類調査でスズメの年間減少率が3.6%とすさまじい勢いで減少していることがわかりました。環境省の絶滅危惧種の基準となる年間減少率3.5%を超えてしまっています。このままでは、「舌切り雀」のお話をしてもどんな鳥なのか姿形を理解できない子どもたちがほとんどであるという状況が近い将来、訪れかねません。
- どうすればポジティブで反転できるのか?
絶滅危惧種、準絶滅危惧種の約8割が直面している危機の原因は、(1)農林水産業をはじめあらゆる産業における土地や海洋の利用、(2)インフラ整備や建造物による自然破壊、(3)過剰なエネルギーの確保、(4)乱獲、過剰な採取です。これらのほとんどが、企業による経済活動に起因しています。そのため、多くの企業に対して、事業のあり方の転換をはかり、ネイチャーポジティブへの積極的な取り組みが求められています。
これまで、環境保全と経済成長は対立するものと考えられてきました。特に日本では、戦後復興、高度成長期の経済発展、「日本列島改造論」、その後のバブル経済などを通じて自然環境を犠牲にしてでも利便性を追い求めてきた歴史的経緯があり、企業家だけでなく一般市民の間でも環境保全は経済発展を阻害するものという考え方が非常に強いと言えます。
しかし、世界ではいまやネイチャーポジティブが主流となりつつあります。世界経済フォーラムは、世界のGDPの半分にあたる44兆円以上が自然資源に由来しており生物多様性の損失によって脅かされているとしています。自然環境の劣化は、経済の劣化につながるということです。一方でネイチャーポジティブ経済に移行することで約3億9,000万人の雇用が生み出され、年間10.1兆ドルの取引が見込まれるというのが世界経済フォーラムの認識です。日本の場合は、ネイチャーポジティブ経済に移行すれば、2030年には最大104兆円、波及効果も含めれば125兆円のビジネスチャンスが生まれるという報告もあります。
すでに大手企業は、世界的なネイチャーポジティブの潮流に反応し、工場敷地内の生物多様性の保全や生物多様性を損失させるプランテーションなどから原材料は輸入しないなど様々な取り組みを始め出しました。まだまだ日本では一部の企業の取り組みでしかありませんが、これまでの事業とは関係ない植林活動だけをもって「地球に優しい企業」と名乗ることは通用しなくなってきています。
一方でネイチャーポジティブの取り組みは、企業だけに求められるものではなく環境保護団体にも求められています。保護活動だけではなく、自然の持続可能な利用や劣化した自然の再生の取り組みにも目を向けていかねばなりません。そのためには、自治体や企業と積極的に連携していく必要があります。さらにネイチャーポジティブの実現のためには、本当にポジティブに反転しているのかどうかについてモニタリングや測定が重要です。生物種、生態系、多様性、回復力、自然そのものが自ら作り出す過程が健全で豊かな方向へ向かっているかどうかなどをチェックしていくためには、地域住民や環境保護団体の力が必要です。
ネイチャーポジティブ達成のためには、消費や廃棄物の削減、持続可能な生産といったサーキュラーエコノミー(※1)の実現を市民ひとりひとりが意識していくことも求められます。
ただ残念なことに、日本ではネイチャーポジティブの認知度自体がまだまだ低いのが現状です。そのため、環境省が事務局を担う「2030生物多様性枠組み日本会議」では、「ネイチャーポジティブ宣言」の登録を推奨しています。認知度を上げていくために「ネイチャーポジティブ宣言」の登録の拡がりが重要です。
- ネイチャーポジティブに向けた真の実践を!
しかし「ネイチャーポジティブ宣言」をしただけでは、現実は何も変わりません。生物多様性の再生に向けた有効な実践が、ネイチャーポジティブを推進する力ですが、グリーンウォッシュと呼ばれる見せかけだけの環境配慮に注意する必要があります。それは消費者や投資家に大きな誤解、間違った知識を与えてしまうことになります。たとえば、化石燃料や原子力に依拠しないエネルギーとして風力発電やメガソーラーをネイチャーポジティブと単純にとらえてしまうことはできません。どちらも森林の伐採、土地の大きな改変を行うため、その地域の生物多様性に大きな損失を与えてしまいます。また、緑化事業という名目で、成長が早く二酸化炭素の固定能力が高いというだけで、ユーカリなどの大規模植林を日本で行うことは生態系の破壊を招きます。他の植物の発芽をおさえる強い力を持つユーカリを植えてしまえばユーカリだけの森になってしまいます。さらにオーストラリアで分布しているユーカリを利用する動物は日本には存在しません。生物多様性は失われただ緑色になるだけです。
グリーンウォッシユをしてしまうのは、自治体や企業だけではなく、意図せず市民団体や環境団体が行ってしまうこともあります。たとえば環境イベントとして行われている子亀の放流会がそれにあたります。ウミガメの産卵場所である砂浜の消失には取り組まず、ウミガメの生態についても無知なまま子亀の放流を楽しむイベントとして開催されています。子亀は通常は大型魚や海鳥などによる捕食をさけるため、夜間に砂から出て海に向かいます。昼間に行われる放流は、かえって子亀の生存率を下げてしまっており、日本ウミガメ協議会は放流会の禁止を求めています。その他にも「きれいな水環境のシンボル」として開催される養殖ホタルの放流も他地域から持ち込むため遺伝子のかく乱を招き、生物多様性を損失させています。環境教育の一環として子どもたちにホタルの幼虫を育てさせ、川に放流するといった取り組みが行われていますが、ホタルの生息環境の改善を行うことなく幼虫を川に放してもホタルたちは生き残ることはできません。
このように環境保全を意図しているにもかかわらず悪化させてしまうグリーンウォッシュはネイチャーポジティブに貢献するどころか多くの市民をミスリードしてしまいます。ネイチャーポジティブは、世界規模ではメガトレンドになりつつありますが、単なる流行で終わらせてはなりません。生物多様性から得られる恵みを人類が失っていく深刻な事態を迎えつつあることを自覚する必要があります。人が食べる作物の75%は昆虫たちの受粉に頼っています。様々な薬品の由来のほとんどは植物によるものです。人類が自らの首を絞めてしまうような愚かな行為と決別するために、自然と共生する道を選ぶため知恵を集め行動することがネイチャーポジティブのかなめです。
※1 従来の3R(リデュース、リユース、リサイクル)の取組に加え、資源投入量・消費量を抑えつつ、ストックを有効活用しながら、サービス化等を通じて付加価値を生み出す経済活動のこと。
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